2015年 04月 10日

scene1019:天皇陛下パラオ訪問に際して⑤ 日本人がパラオに遺したもの

e0253132_23292295.jpg

Nikon D70+NIKKOR AS-F Micro 60mm/F2.8 ED
2011-02-28 ハテノ浜 珍しい左右から寄せる波
*写真を1クリックすると大きくなります。 

天皇陛下が8〜9日の日程でパラオに行かれるのでそれに沿った内容を
数日かけておたえしようかと思っています。(今日はその5回目です。)

これまでの記事
も御覧ください。

ペリリュー島の激戦が終わりました。

戦闘が終結したあと、米軍は島のあちこちに散る日本兵の遺体を、そのまま放置していました。
米兵の遺体はきちんと埋葬しても、日本兵の遺体は、ほったらかしだったのです。

戦闘終結からしばらくたって、島民たちが島に戻ってきました。
彼らは、島中に散らばる日本兵の遺体をひとつひとつ、きれいに片付け、埋葬してくれました。


戦後、パラオは、米国の信託統治領となります。
けれど、米国は、島民たちへの教育はおろか、島のインフラ整備にも消極的でした。

島民たちは、パラオ本島と一緒になり、独立運動を開始します。
そして、ようやく戦争から36年目の昭和56(1981)年、パラオは自治政府の「パラオ共和国」となりました。
そのパラオが米国の信託統治を外れて、名実共に独立国となったのは、なんと平成6(1994)年のことです。

独立したとき、パラオの人々は、独立記念の歌を作りました。




e0253132_23315871.jpg
Nikon D70+NIKKOR AS-F Micro 60mm/F2.8 ED
2011-02-28 ハテノ浜
*写真を1クリックすると大きくなります。 

一 激しく弾雨(たま)が降り注ぎ
  オレンジ浜を血で染めた
  つわものたちはみな散って
  ペ島はすべて墓(はか)となる
  (注:ペ島=ペリュリュー島のこと)

二 小さな異国のこの島を
  死んでも守ると誓いつつ
  山なす敵を迎え撃ち
  弾射ち尽くし食糧もない

三 兵士は桜を叫ぴつつ
  これが最期の伝えごと
  父母よ祖国よ妻や子よ
  別れの”桜"に意味深し

四 日本の”桜"は春いちど
  見事に咲いて明日は散る
  ペ島の”桜"は散り散りに
  玉砕れども勲功はとこしえに

五 今もののふの姿なく
  残りし洞窟の夢の跡
  古いペ島の習慣で
  我等勇士の霊魂守る 

六 平和と自由の尊さを
  身をこなにしてこの島に
  教えて散りし"桜花"
  今では平和が甦る

七 どうぞ再びペリリューヘ
  時なしさくらの花びらは
  椰子の木陰で待ちわびし
  あつい涙がこみあげる    

この歌詞を作ったのが戦後まもない頃ならまだわかります。
戦後長い間の時を経てできた歌とは思えません・・・。

さらに下にあるのが、独立したパラオ共和国の国旗です。
e0253132_23360157.gif
この国旗は、パラオ国民の間からデザインを一般公募した結果、全会一致で採用になった国旗なのだそうです。

周囲の青は太平洋。まんなかの黄色い円は月をあらわしています。
月は日章旗の太陽との友好を示すものなのだそうです。

そして、パラオの国旗の満月は日の丸の旗の太陽とは違って,中心から少しズレています。
日本に失礼だからと、わざと中心をはずしたのだそうです。
これはパラオの人たちの慎み深い態度を表しているのだそうです。

お亡くなりになられた、英霊の方々に深い哀悼の意を表するとともに、深く深く感謝いたします。

また、戦闘終結後も生き残りの日本兵34人が洞窟を転々として生き延び、終戦の2年後まで戦い続け、昭和22(1947)年に投降しています。

【ペリリュー島の戦い】
日本軍
 戦死者 10,695名
 捕虜    202名

米軍
 戦死者 2,336名
 戦傷者 8,450名

村人の死者、負傷者、0名


下記の写真の通り、先日天皇陛下ご夫妻がこの戦い後2年間も戦い続けた生き残りの方と
面会されておられます。

e0253132_23410909.jpg
パラオのペリリュー島で米軍と戦った元日本兵の永井敬司さん(左奥)、
土田喜代一さん(左手前)と面会される天皇、皇后両陛下
=3月22日 午前、皇居・御所(宮内庁提供)

2人によると、天皇陛下は「本当に長いことご苦労さまでした」と言葉を掛け、
皇后さまも「大変でしたね」とねぎらった。

永井さんは「私どもは軍人ですから戦争で戦うことは仕方ない」と答えた。

土田さんは両陛下に合わせてペリリュー島を訪れる予定で、
「そのときまで元気でいてください。来られることを祈っています」と両陛下に伝えたという。

 面会後、永井さんは「英霊は本当に喜んで迎え、安らかにお休みになると思います」と話した。


この時陛下はお風邪を召されおり、面会は20分ほどしかできなかったとか、
途中退席された陛下の代わりに皇后陛下はお二人のお話をきかれたとの事でした。

あのお歳で体調がすぐれぬ中でもご面会される天皇陛下の並々ならぬ決意が伝わりました。

この記事は実は4月5日(日)に書いています。
書きながら、今週陛下がパラオに行かれる事がどれだけの真実に沿ってメディアで伝えらるのか?
と思いました。

この記事を見られた方は興味を持って今週の新聞やニュースを御覧になられたと思います。
いかがでしたでしょうか?

まだまだ日本人が本当の事が知るには時間がかかるような気がしてなりません。
そしてパラオの人たちと先人たちの努力の友情の出来事が日本においても語られる日が来るように
願うばかりです。

さて、長くなりましたが明日で最後です。

ある方がパラオに新婚旅行に行かれたときのお話です。

これまでの話はある記事を元に自由時間が再編集と私の意見を交えながら数日間記事します。
最後の日にその元記事をご紹介いたします。
(最初にご紹介するとごちゃ混ぜにになってしまうので・・・。)

「本当に伝えたい事シリーズ」を一人でも多くの人に伝えたい。
 そんな思いで順位UPを願っています。
 その思いに賛同頂ける方は、ポチットして頂ければとっても嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 家族ブログ 仲良し家族へ
にほんブログ村

もちろんポチ無しでも、\(^o^)/いつもご訪問有り難うございます〜。

このブログでは私の思っている事を本当に伝えたい事ちょっと伝えたい事に記載しています。
ご覧頂けたら幸いです。




[PR]

by rangefinder-love | 2015-04-10 17:00 | 本当に伝えたい事 | Trackback | Comments(6)
トラックバックURL : http://hologon.exblog.jp/tb/22934287
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented at 2015-04-10 19:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by rangefinder-love at 2015-04-10 23:36
★鍵さん >恥ずかしながら、涙を堪えて拝読しました。パラオと日本の絆...そして何よりも日本に生まれ育ったこと、慈しみ深い天皇を自国の象徴として末長く敬愛することができることに感謝したいと思います。

歌の詩感動するでしょう。
私は何度も泣きました(涙)
共感いただいて嬉しいです。
Commented at 2015-04-11 15:46
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by rangefinder-love at 2015-04-11 21:40
★鍵②さん ありがとうございました。とても参考になりました。楽しみです・・・。
Commented by 市川 at 2015-04-29 19:55 x
パラオと日本は未来永劫 涙とともに人類の神話になる。
・・・・
あの大戦事態が神話になる。
まずは日本人が知らなければならない。
Commented by rangefinder-love at 2015-04-30 13:58
★市川さん 天皇陛下がパラオに行かれた事自体知らない人が多いので、まずはそこからですよね。
おっしゃる通りです…。


<< scene1020:天皇陛下パ...      scene1018:天皇陛下パ... >>