2015年 04月 08日

scene1017:天皇陛下パラオ訪問に際して③ パラオ・ペリリュー島の物語

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Nikon D7000 + TAMRON SP 70-300mm F4-5.6
2011-02-28 ハテノ浜
*写真を1クリックすると大きくなります。 

天皇陛下が8〜9日の日程でパラオに行かれるのでそれに沿った内容を
数日かけておたえしようかと思っています。(今日はその三回目です。)

これまでの記事
も御覧ください。

昭和16(1941)年、大東亜戦争が始まりました。
日本はこの年の翌年早々にはパラオ南部のペリリュー島に、1,200メートルの滑走路2本を持つ飛行場を完成させています。

パラオは、開戦した日本にとって、グアムやサイパンの後方支援基地として、また日本の太平洋防衛圏上の、重要な拠点となったのです。

日本にとって、防衛上重要拠点であるということは、敵対する米軍にとっては、脅威です。
なぜならフィリピン奪還に総力をあげる米軍にとって、パラオ・ペリリュー島の日本軍基地は後背部を脅かす存在だからです。

昭和18(1943)年、米軍は、アメリカ太平洋艦隊司令長官、連合軍中部太平洋方面の陸海空3軍の最高司令官であるチェスター・ニミッツ提督の指揮下、このパラオ・ペリリュー島の攻略作戦を計画しました。

当時、ペリリュー島には、899名の島民がいました。
米軍は、刻一刻と迫ってきます。

島民たちは、白人統治の時代を知っています。
そして日本統治の時代も、身をもって経験しています。

日本兵と仲良くなって、日本の歌を一緒に歌っていた島民たちは、集会を開きました。
そして全会一致で彼らは、大人も子供も一緒になって日本軍とともに「戦おう」と決めました。

こうした村人の会議という制度は、パラオ古来の慣習です。
いまでもパラオではこうした会議が行われ、そこには村人全員が参加します。

全員です。

そして話し合いは、全員がひとり残らず納得するまで、何日でも続けて行われます。
議場に籠って話し合い続けるのです。
そうして、みんなの意思を固める。

全員一致で「日本軍とともに戦う」と決めた彼らは、代表数人で日本軍の守備隊長のもとに向かいました。
当時のペリュリューの守備隊長は、中川州男(なかがわくにお)陸軍中将(任期当時は大佐)です。

中川中将は、熊本の玉高の出身で、陸軍士官学校の第30期生です。
日頃からもの静かで、笑顔の素敵なやさしい隊長さんだったそうです。
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中川隊長

中川大佐がパラオ、ペリュリュー島に赴任したのは、昭和18(1943)年6月のことでした。
家を出る時、奥さんから「今度はどちらの任地に行かれるのですか?」と聞かれた中川中将は、にっこり笑って
「永劫演習さ」とだけ答えられたそうです。
「永劫演習」というのは、生きて帰還が望めない戦場という意味です。

温厚で、日頃からやさしい人であっても、胸に秘めた決意というのは、体でわかるものです。
そしてそういう中川隊長なら、パラオの島民たちが、自分たちの頼み・・・一緒に戦うこと・・・をきっと喜んで受け入れてくれるに違いない。
だって、ただでさえ、日本の兵隊さんたちは兵力が足りないのだから。
ペリュリューの村人たちは、そう思い、中川中将のもとを尋ねたのです。

そして中川中将に、「わたしたちも一緒に、戦わせてください!」と強く申し出ました。
「村人全員が集まって、決めたんです。これは村人たち全員の総意です。」

中川隊長は、真剣に訴える彼らひとりひとりの眼を、じっと見つめながら黙って聞いておられたそうです。
一同の話が終わり、場に、沈黙が訪れました。

しばしの沈黙のあとです。
中川隊長は、突然、驚くような大声をあげました。

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるかっ!」
烈迫の気合です。

村の代表たちは、瞬間、何を言われたかわからなかったそうです。
耳を疑った。
(俺たちのことを「土人」と言った?)

そのときは、ただ茫然としてしまいした。
指揮所を出てからの帰り道、彼らは泣いたそうです。
断られたからではありません。
土人と呼ばれたことがショックでした。
怒りではありません。
あんなに仲良くしていたのに、という悲しみの方が大きかった。

日頃から、日本人は、自分たちのことを、仲間だと言ってくれていたのに、同じ人間だ、同じ人だ、俺たちは対等だと言ってくれていたのに。
それが「土人?」
信じていたのに。
それはみせかけだったの?

集会所で待っている村人たちに報告しました。
みんな「日本人に裏切られた」という思いでした。
ただただ悲しくて、悔しくて。
みんな泣いてしまいました。



何日がが経ちました。
いよいよ日本軍が用意した船で、パラオ本島に向かって島を去る日がやってきました。

港には、日本兵はひとりも、見送りに来ません。
島民たちは、悄然として船に乗り込みます。
島を去ることも悲しかったけれど、それ以上に、仲間と思っていた日本人に裏切られたという思いが、ただただ悲しかったのです。


汽笛が鳴りました。
船がゆっくりと、岸辺を離れはじめました。




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Nikon D7000 + TAMRON SP 70-300mm F4-5.6
2011-02-28 ハテノ浜
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次の瞬間です。
島から「おおおおおおおおおおお」という声があがりました。
島に残る日本兵全員が、ジャングルの中から、浜に走り出てきたのです。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、ちぎれるほどに手を振って彼らを見送ってくれたのです。

そのとき、船上にあった島民たちには、はっきりとわかりました。
日本の軍人さん達は、我々村人を戦火に巻き込んではいけないと配慮したのだ、と。
そのために、心を鬼にして、あえて「土人」という言葉を使ったのだと。


船の上にいる島民の全員の目から、涙があふれました。
そして、岸辺に見える日本兵に向かって、島の人たちは、なにか、自分でもわからない声をあげながら、涙でかすむ目を必死にあけて、ちぎれるほど手を振りました。

船の上から、ひとりひとりの日に焼けた日本人の兵隊さんたちの姿が見えました。
誰もが笑っています。
歌声が聞こえます。

そこには中川隊長の姿もありました。
他のみんなと一緒に笑いながら、手を振ってくれていたそうです。
素敵な笑顔だったそうです。
当時の人は、その笑顔が、ずっとまぶたに焼き付いていたといいます。


***************************************

協力したら全員死ぬとわかっているのに日本軍と戦いたいという島民の気持ちは
今の私たちには想像できない決断かもしれません。

しかし、彼らは日本に統治されるまでそれまで自分たちの国を国として扱われなかったのです。
自分たちを人として扱われなかったのです。

でも日本人は違った、一緒に勉強し、一緒に国を発展させ、一緒に泣き笑い歌った。

どうしてそんなにしてくれるのか?
どうして自分たちを対等に扱ってくれるのか?
どうしてそんな民族なのか?
そう思ったはずです。

当時の日本の教育を受けたということは、天皇という存在がいるからこそ、
天皇陛下の下には誰もが平等であることを知ったはずです。

そして天皇は代々、民を宝と思い大切にしてきたからこそ国民は安心して暮らせる。
だからこんな立派で優しい民族でいられるんだとわかれば、自分たちもそんな天皇の下
日本人になりたいと思うのは至極当然のことかと思います。
そして大東亜共栄圏の考えや八紘一宇の精神を持つ日本人と同じ価値観を共有したはずです。

再び日本人以外に統治されるのであれば自分たちがどうなるのか火を見るよりも明らかです。

ならば戦う。自分たちを助けてくれた日本人と一緒に・・・。
と思うのも不思議ではありません。

中川隊長以下も日本兵も島民も気持ちはとても嬉しかったと思います。
でも一緒に戦うのはダメだと判断されました。

結果今日のお話のような事になりました。
映画のような話ですよね。

たった70年前の私達の先輩方はこのように振る舞われたのです。
しかしなぜ、この物語がパラオの人達の間には語り継がれているのに、
私達日本人には語り継がれないのでしょうか?

戦前戦中の軍人さん達は悪い事ばかりして、みんなその人達が悪いんだと私達は教られて来なかったでしょうか?

少し考えたらわかるはずです。

たった70年で民族というものが変わるわけありません。
先人は私達よりもっともっと立派だったのです。

現在は過去からの連続で現在があり未来につながります。

世界的にも日本人はすごいと言われています。
それは現在の日本人の力だけではありません。

過去からの日本人達の努力が現在にもつながり、そしてその土台の上に立って私達が努力が
現在の日本人の姿となり、そしてその積み重なりが未来につながるのではないのでしょうか?

天皇陛下は今日のお話もよくよくご存知で、そのつながりを大切にされていらっしゃるからこそ
遠いパラオの地に赴かれたのではないでしょうか?

語られなくなったパラオを日本人に示すために。
両国の絆を結うために。



明日に続きます。

これまでの話はある記事を元に自由時間が再編集と私の意見を交えながら数日間記事します。
最後の日にその元記事をご紹介いたします。
(最初にご紹介するとごちゃ混ぜにになってしまうので・・・。)

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by rangefinder-love | 2015-04-08 17:00 | 本当に伝えたい事 | Trackback | Comments(6)
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Commented by YOU at 2015-04-08 17:27 x
今、まさに今パラオをご訪問されている天皇皇后両陛下の心中が痛い程に伝わってきました。ありがとうございます。
Commented by rangefinder-love at 2015-04-09 22:31
★YOUさん こちらこそコメントありがとうございます。
天皇皇后両陛下の心中は私も忖度しているつもりでしかありませんが、少なくともそれを汲み取ろうとしていないマスメディアを見て、マスメディアの存在価値自体に疑問を禁じ得ません。
Commented by 市川 at 2015-04-26 06:27 x
ここまで読んだ。
パラオのことを忘れさせられている日本人たちに示されたご訪問です。
たくさんの障害を乗り越えられた陛下の気持ちを日本人ならば察しなければならない。

さて
今日は「百人一首」を買いに行く。
読まなければいけないのがたくさん!!
日本人ならば知っていなければならない基本的な教養が何十年分も奪われていたのだから。
Commented by rangefinder-love at 2015-04-26 07:08
★市川さん ありがとうございます。
それが・・・。
ある方の私の記事に対するコメントをみると一般の方にはそうは見えないそうですよ。
マスコミうまいですね・・・。

百人一首私はまだまだ先になりそうです。
読んでいない本が多すぎる・・・。

>パラオへのご訪問は、特に予備知識がなければ「日本の過去の過ち」を詫びるためのように映るようです(家族談)。
それは両陛下の、低姿勢で幾度にも渡る丁重な敬礼の姿が前面にクローズアップされ、それに対しての解説が全くないのが一つの要因だと思います。
義母は今年88歳ですが、残念なことに?(或いは敢えて触れたくない?)、パラオのことはあまり詳しく語りません。
正しい歴史を伝えることができる人は、自由時間さんが言われる人数よりもっともっと少ないのかもしれません。
Commented by 市川 at 2015-04-26 17:30 x
日本は太古から資料を大事に残す国。
今 ネットの時代に入って百年やそこらの過去を正確に知ることがたやすくなっています。(当時の新聞等で)
動画サイト等も日本よりが多い。
石頭のオレでも目覚めれたのだから。

八十代は「日本が悪い」という洗脳教育まっさかりだったろうし・・・。

Commented by rangefinder-love at 2015-04-26 23:14
★市川さん 80代は当時10歳ぐらいのはずで終身の授業などもあったはずなんですが、その後の洗脳教育がやっぱり激しかったんでしょうかね?


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