2013年 08月 15日

scene411:硫黄島(いおうとう)の英霊に私達は今の日本を語れますか?

<予約投稿です。>
68年前の今日、日本は2,605年にわたる日本国の有史以来初めて戦争に負けました。
そしてそれから68年間、それまでと全く違う国家に成り果ててしまいました。

先に申し上げますが、本日は終戦記念日なので先の大戦について現時点で
私が最も伝えたい事を記載します。

明日は、では今日私達がどうあるべきか(多分皆さんが想像されているような事は書きません)
を記載してこの「本当に伝えたい事」シリーズは一旦終了します。

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RICOH GR DIGITAL Ⅱ
2009年4月30日 八丈小島

あの巨大な戦争であった中でも硫黄島の戦いは最も知られた戦いの一つでした。
六千万(60,000,000)人が殺された大戦で、一番悲惨な肉弾戦だった事もあります。

しかし、それだけではなく日本、アメリカ双方の将兵がおのれを顧みずに戦った事と、
勝利国アメリカの将兵の死傷者が、敗戦国日本の将兵のそれを唯一、上回った、
アメリカの払った犠牲の方が大きい戦いだった事で、アメリカをはじめ世界に記憶されました。

だからこそ、クリント・イーストウッド監督は二本の映画を創り、うち一本を日本への敬意を
込めて、日本の視点で制作するという映画史上初めての事を成し得たのでした。
*日本の視点が正確であったかと言うとそうではありません。隠された事が当然あります。

まずは、なぜ硫黄島をアメリカ軍が欲しかったのか?
日本を効率よく爆撃する為でありました。
アメリカのマリアナ諸島の基地と日本の丁度ど真ん中の場所だったのです。


長距離爆撃機が日本の本土を襲う際に、戦闘機の護衛も受けたい。
帰りに損傷を受けていたり、故障を起こしていたら、安全に不時着して修理出来る場所も欲しい。
ただマリアナ諸島から東京までの往復距離は5,000キロを超える。
戦闘機は航続距離が足りず、護衛できない。戦闘機はガス欠で帰りに海に墜落するしかない。
給油できる場所も欲しい。

神様のいたらずらか、まるで測ったようにちょうど真ん中にある。
羽田から硫黄島まで            1,210キロ
硫黄島からマリアナ諸島のサイパン島まで  1,160キロ

さらには、硫黄島の形すら運命的でした。
北の端から、島の中央部へずっと真っ平らでまるで自然の滑走路にも見える。

ここを絶好の中継拠点として、殺せる日本国民は何倍にもなる・・・。


侵略が始まる時、海上のアメリカ軍海兵隊の指揮官は、
「我々は史上初めて、日本の聖なる領土を侵すのだ。凄まじい抵抗があるだろう。心してかかれ」
と訓示しました。

アメリカは実は日本をよく理解していた。

私達の祖国は、世界の例外でした。
二千年以上もひとつの国家、ひとつの文化、ひとつの皇統を維持し、
ただの一度も、領土を外国に侵された事がなかった。

東京の南、硫黄島が奪われれば、初めての被占領をゆるす事になるのでした。

この場所に、たった68年前に、およそ21,000人の祖国の先輩たちが戦ったのです。

「俺は連れていかれたんだ」と語りたい人もたくさんいるでしょう。
戦争末期なので、職業軍人はおよそ1,000人ほどしかいなかった。
多くは、私のように三十代を中心に働き盛りの、家庭を持つふつうの男性でした。


この島で20,000人が亡くなりました。まさしく玉砕です。

玉砕は、例えばサイパンでもアッツ島でもガダルカナル島でもたくさん起きた。
それらの玉砕の島々からも、未だに遺骨は一部しか帰ってきていない。
ただ、すべて外国の話です。

遺骨が帰郷できないのは、無念でおかしいけど、外国だから日本の自由にはできない。

ところが、硫黄島は日本に一部で、本来は遺骨を取り返すのに何の障害もない。
しかし硫黄島で殺された方々の遺骨は、いまだ13,000人の方々が故郷に帰れていない。


どこにいらっしゃるのか?
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RICOH GR DIGITAL Ⅱ
2009年4月9日 大島 三原山

硫黄島の滑走路の下なんです。

今日も自衛隊、海上保安庁、そして在日米軍が使っている滑走路の下にいらっしゃるのです。

1945年3月 戦いの真っ最中に、地下壕からも地上からも日本兵の亡骸を収容する事なく、
弔う事もなく、その顔に上に、胸に、腹、足の上に直接、アメリカ軍がコンクリートを
流して滑走路を造ったのです。


この行為は無残な行為であったと思いますが、これはアメリカの事であって、
問題にしたいのは日本側です。


沖縄返還の4年前の1968年に日本に返還されました。
本来なら当時の自民党政権の政府は直ちに滑走路を引き剥がして遺骨を収集し故郷に帰って頂く、
それが世界の常識です。どんな国でも、勝とうが負けようが関係ありません。

そこで何をしたか?
一部だけ剥がした。
滑走路の西端の一部だけ剥がした。
後で文句を言われるかもしれないから一部だけ剥がして、その遺骨は取り戻したから、
それもあって一部の遺骨は日本に帰ってきている。


そして大部分は、海上自衛隊や海上保安庁がそのまま使い続けた。

その頃の当事者に直接聞いた方がいる。
私がお勧めしている僕らの祖国 -青山 繁晴-の著者青山繁晴さんです。
青山さんは当事者から

「そのまま使い続ける方が便利だったから」

と聞いたそうです。

*尚、余談ですが、先日安倍首相が硫黄島に訪問した際に飛行機のタラップに降りた後に
地面に這いつくばるようなされた行為は、実は土下座です。
下に眠っている英霊たちに「放っておいて申し訳ございませんでした。」と
土下座されていたのです。
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ところで、硫黄島は一般人は入れません。
玉砕をまぬがれてわずかに生き残った元将兵と、戦死者の家族・親族、そしてボランティアの
学生が遺骨収集に制限付きで訪れる事ができる。
NHKの特別取材団も来る。
但し、訪れる場所は厳しく制限され、ごく限定されている。
理由は「島全体が海上自衛隊の基地なので、一般人は許可なく立ち入りができない。」
とされている。
しかし実際にはそれ意外の理由として「みられたくないもの」は存在している。

日本人は立ち入り禁止なのにクリント・イーストウッド他、撮影クルーも、渡辺謙さんも
一日だけ硫黄島の中を’自由’に撮影したと言う。


当時のライス国務長官が政府に依頼してきたとか。そうしてあの映画は作られた。
それを知って政府に青山繁晴さんは交渉の交渉の末、最後は政府の力は借りずに一般人としては
初めて硫黄島を訪れた。

(その経緯は本をご覧ください。)

しかし、なんという事か。アメリカのおえらいさんの依頼があれば’自由’に歩かせるか?

南の島の太陽が照り付ける浅い土中の遺骨は、歳月に、もやは耐えられない。
滑走路の下に、あるいは岩の下に閉じ込められたひと達はどうだろうか?
まだギリギリ耐えれているのかもしれない。

そうしてご自分の骨が、姿をほぼ失ってしまった英霊も、ご自分の頭蓋骨がしっかり残っている
英霊も、誰かれも変わりなく、故郷に帰りたい。

ただ一度きりの命を捧げて護ろうとして祖国がたった今、どんな国になっているかを見たい・・。

ただ、彼らにはそんな’自由’もないのです。なんという事でしょうか?



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Nikon D70 + Carl Zeiss Distagon T* 2/28 ZF
2009年9月10日 八丈島で見つけた役目を終えた船。

その英霊たちはどうやって戦ったのだろうか?

硫黄島の戦いは栗林中将閣下抜きでは語れない。

硫黄島の戦いの前に、島には帝国陸軍の栗林忠道中将が赴任した。

栗林中将はすべての将兵にわかりやすく戦陣訓を伝えていきました。
それらの事はクリント・イーストウッド監督が「日本人の視点で」作った映画には出てこない。

その戦陣訓の中でも2つの事を禁じた事が大切でした。

21,000人もの将兵に向かって

1つ、自決をしてはならぬ。

1つ、万歳突撃をしてはならぬ。

それを聞いた将兵の中からは反乱の動きがあったといいます。



みな、帰れない、ここで死ぬ。家族に会えない。

それはわかっているけれども、最後は手榴弾を胸に抱え込んで自決するか、
あるいは無防備な万歳突撃をして敵に殺されて、いわば楽に死ねるか。

全く楽ではないけど、最後はそのように死ねると、それだけを救いとしてむしろ戦っているのに、
それを禁じるとはどういうことだ、という事だった。

すると、帝国陸軍の中将でありながら、二等兵の所まで一人づつ回って行き、話をされた。

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Nikon D70 + Carl Zeiss Distagon T* 2/28 ZF
2009年9月10日 八丈島から海を眺める。

 おまえたち、アメリカ軍がなぜ硫黄島を取ると思うか。

 大本営は日本の港や工場を爆撃したいからと言ってるけれど、アメリカは本当は日本の港や
 工場に関心は薄いぞ。

 そうではなく、爆撃の目的はもはや本土で女と子供を殺す事だ。女と子供を殺す。

 すなわち民族を根絶やしにされると日本人を恐れさせて降伏に導くのが、
 アメリカ軍が硫黄島をとる本当の理由である。

 だから今から穴を掘ろう、穴を掘って立てこもって、やがて、みな死ぬ。

 みな死に、故郷には帰れない、家族にも会えない。

 しかし穴を掘って立てこもったら一日戦いを引き延ばせるかもしれない、

 最後は負けても、一日引き延ばしたら爆撃が一日遅れて一日分、
 本土で女と子供が生き延びる、

 二日延ばしたら二日分、本土で女と子供が生き残る。

 そこから祖国は甦る。 だから穴を掘ろう。


 栗林中将は実際、それまでの日本軍がサイパンやガダルカナルで戦う時に海辺で迎え撃ち、
 万歳突撃をして玉砕していた事を根こそぎ変えてしまった。

 水際では戦わず、島の奥に引き、地下壕を掘って立て籠もる作成を決めた。

 栗林中将より先に赴任していた将兵からは、海軍を中心に強い反対が出た。

 しかし栗林中将の説得と、揺るがない信念をみて、やがて21,000人が心を一つにして
 穴を掘り始めた。

  
 
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 RICOH GR DIGITAL Ⅱ
 2010年1月25日 三宅島
 
 硫黄島は立ち入り禁止の島だから、掘った道具は今も、そのまま転がっているらしい。
 機械がない事はもちろん。もう鉄も残ってなかったからツルハシもない。
 青山さんが硫黄島で見つけられたのは、子供のおもちゃみたいなトンカチだけだったらしい。

 生爪を剥がしながら、しかも硫黄島は地獄の様に暑い。
 暑い硫黄島で掘っていたら気温が70度になったと、わずかに生き残った兵は証言している。
 日中気温40℃を超えた高知県四万十市の住民もびっくりであろう。

 
 そんな所で爪を剥がして掘って行って1メートルしか進まない日もあったらしい。

 その地下壕を青山さんが入った時の話だ。

 火炎放射機から身を守る為、何層にも別れた複雑な毛細血管のような穴をほふく前進で
 通り抜けたあとびっくりするぐらい広い部屋が現れたらしい。

 その真っ暗な地下壕の中で同行していた人に、絞るように言った言葉が
 私に印象に残りました。

 ***************************************

 みなさん、これを見ましたか?

 生半可な努力でこんなものは掘れないよ、そして一番大切な事は、
 これを掘った21,000人の日本の方々のうち、一人でも自分の利益の為に、
 自分が助かりたいとか、自分の利益になるからといって掘った人はいるんですか?

 ひとり残らず、ただ人の為に、公の為に、子々孫々の為に、祖国の為に、
 それだけが目的で掘ったんですね。

 そしてこの掘った人たちを、私たちは戦後ずっと
 『日本兵』というひと固まりで呼んできました。

 本当は大半がふつうの庶民なんです。

 戦争末期ですから職業軍人はもうあまり残っていなくて、ほとんどの方が、
 記録を見るとパン屋さんだったり、魚屋さんだったり、学校の先生だったり、
 サラリーマンであったり、普通の働き盛りの、お子さんたちがいて家族もいる普通の
 僕たちと同じ市民がそこで戦って、そうやって掘っていたのに、
 本来は素人が掘ったのに、完璧な地下壕がそこにある。

 これを見て、あの戦争は悲惨だったという話だけを僕たちは60年間してきたけれど、
 それで済むのか?

 あの映画の主演の渡辺謙さんもテレビに出て、「戦争は悲惨だと改めて思いました。」
 と言っていらっしゃった。それも大切だけれども、それだけで済むのか。

 間違いなくここにいらっしゃる、この英霊のかたがたが本当に聞きたいのは
 
 「戦争は悲惨でした」という話だけではなくて、
 
 「今、自分たちが助けた女性と子供を手掛かりにして甦った日本民族が、
  祖国をどんなよい国にしているのか、その話が聞きたいんだ。」

 ぼくたちが、今、何をしているか、それを聞きたいんだ。

 その英霊のかたがたにぼくらは、日本はこんな国になりましたと言えるんですか。

 経済は繁栄したけれども、いまだ国軍すらないから隣国に国民を拉致されて、
 
 されたまま救えず、憲法はアメリカが原案を英語で作ったまま、

 そして子が親をあやめ、親が子をあやめ、さらにいじめれらた子が自殺する。

 そういう国に成り果ててしまいましたと、この英霊に言えるのか。

 ぼくたちの一番の責任はそこでしょう。 と・・・・。

 ***************************************

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Nikon D70 + Carl Zeiss Distagon T* 2/28 ZF
2009年9月10日 八丈島 八丈富士

 青山さんの働きもあって、心ある人達が首相官邸や、厚生労働省、防衛省にに手紙や
 Eメールや電話が届けれました。

 「硫黄島の滑走路を引き剥がせ。私たちも硫黄島をわすれていたけれど、
  私たちは知らされても教えられてもいなかったんだ。
  滑走路を引き剥がしてご遺骨を取り返せ」という声があふれるようになって、
  2009年1月に防衛省は一旦滑走路を引き剥がす事を決めた。(その後菅政権で頓挫)
  (今ようやく、安倍政権が国有地を売却してでもこの内閣でやるとおっしゃっています。)

  では、硫黄島の滑走路を引き剥がし、遺骨を取り戻し、硫黄島の岩の下や草の下からも
  遺骨を取り戻したら何が起きるか。

  戦争を美化するのではなく、戦争の思い出話をするのでもない。

  
今とこれからを生きる為です。

  ひとりひとりのご遺骨に、その故郷に帰って頂くと、この遺骨になっている方は、

  たった70年前に何をなさったか、自分たちの為ではなくて人の為に生きて戦ったんだと

  言う事を子供たちに伝えることができる。

  遺骨を目で触れて、生き様を聞いた子供の中には、たとえば苛められている自分と、

  苛めている数人の小さなわたくしの世界しか見えなくて死を選ぼうとしている子供も、

  はっと気づくかもしれない。


  やがて大人になったら、人の為に、公の為に生きられる。その広く新しい人生が開けると

  気づいたなら、死を選ばない子供もでてくるのではないだろうか?

  そこから、わたしたちの祖国の再建の槌音が、かすかに聞こえ始める。


  ***************************************

私たち日本人の、本来の生き方、私を脱して生きること、それを取り戻すためには滑走路も
引き剥がして、すべての遺骨を取り戻さなければならない。

階級も年齢もない、将軍から二等兵まで、どの先輩も、同じく人の為、祖国の為にい生きて、
戦って、死んだ方々であり、ひとり残らず取り戻していく。

それは拉致被害者を最後まで生きて取り戻していくことと同じであります。

一人の国民も忘れてはなりません。私たちはひとりひとりがみんなこの国の主人公です。

主人公であるからには、私たちは、ひとりひとりしかいない。区別もない。日本国民であれば

かげなえのない値打ちがかわらないのです。


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Nikon D70 + Carl Zeiss Distagon T* 2/28 ZF
2009年9月10日 八丈島
  
最後になりますが、21,000人の先輩たちのおかげでアメリカ軍は硫黄島を攻略するのに
  
多大な損害と時間を要しました。

栗林中将閣下の

「一日引き延ばしたら爆撃が一日遅れて一日分、本土で女と子供が生き延びる。」

に何の意味があるのか?と思いませんでしたでしょうか?


私は最初思いました。

しかし、本当に意味があったんです。

先日お話した東京大空襲で一夜にして10万人の方々が亡くなられてしまいました。

ただ、あの場所にあれだけの空襲をして10万人だったのです。

それは硫黄島の方々が命を削って戦ってくれたおかげで、都心の方々の疎開をする時間かせぎ

を出来たからでした。決して無駄ではなかったのです。
なんという事でしょうか。

たしかに東京大空襲でたくさんの方々が亡くなりましたが、疎開する事が出来た方々が

彼らのおかげでで命をつなぐことができ、今日の私たちもいるのです。



だから今日この日は「戦争は二度と起こしはならない。」を思う事もいいですが、

見ることもなかった私たちの為に命を懸けて戦ってくれた英霊たちに感謝の気持ちで一日を

過ごしてもいいのではないでしょうか?


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RICOH GR DIGITAL Ⅱ
2009年4月30日 八丈小島
  
最後に青山さんの話には後日談があります。

硫黄島で生還されて金井啓元海軍下士官にお会いした時の話です。

70度もある地下壕にこもって戦っている最中、真水の無い島で雨水を貯めて水を口にするのですが

すでにお湯ほどの熱さの為、唇に火傷する兵士もいたそうです。

「冷たい水が飲めるなら死んでもいい。」と思ったらしいです。

さらに、死んでいく戦友の口に末期の水として唇に当てると熱湯だから唇が腫れあがるとか。

だから金井さんは、今毎日キンキンに冷やした水を仏壇に供えてやっていると。


この話を聞いて、2006年12月10日の夜から、青山さんもお水を冷やして南に向かって捧げ、


「ありがとうございます、みなさんのおかげで、ぼくたちはここにいます。頑張ります、

 みなさんが護ってくださった、私たちに繋いでくださった祖国をよい国にします。」

 と毎日お祈りしているそうです。


この動きが日本中に広まって、今一万名程の方がこの一杯の水運動をしているらしいです。

先日私のFacebookにも8月15日にみんなでそれをやろうという案内がきました。

すでにFacebookの中だけで本日4,000人を超える人が続々と実施されています。

今日一日は、そうした思いが日本中をかけめぐり、次の世代へと伝えれれる事を願います。

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iPhone 5
2013年8月15日早朝 自宅 南側のベランダに向かって

私も感謝のお祈りをしました。

本日私が言いたかった事は以上です。

妻に読み聞かせするだけで18分かかりました。

「なんで、そんなに頑張るの自由時間さんは?」

と思われていた方もいらっしゃるかとは思いますがこういう事です。

長い文章を最後まで読んで頂いてありがとうございました。

*本日の文章の大半は僕らの祖国 -青山 繁晴-の中身の

 「硫黄島の章」からの抜粋です。

 よくラジオで青山さんは「立ち読みでも良いのでこの本を取って見て下さい。」

 とおっしゃっています。

 私が先日買った時は第七刷だったのが、今十四刷までいったとか。オススメです。

明日は未来についての希望を記載します。この書を中心に。


今日は6時間ぐらいかかりました・・・。
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by rangefinder-love | 2013-08-15 12:00 | 本当に伝えたい事 | Trackback | Comments(6)
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Commented by LM_HELL at 2013-08-15 22:16
この話を高校生の知っておれば...
あの日教組脳(或いは朝日脳)の社会科教員をぶん殴っていたはずであります。
Commented by rangefinder-love at 2013-08-15 22:36
★LM_HELLさん
私は今でも悩んでいます。
私が歴史好きだったのは、中学三年の時の担任の先生の授業が面白かったからです。
私は学級委員長だったので最初は同窓生をよくしていたのですが、2005年反日デモを現地で経験して、歴史を知った以来、同窓会をやらなくなりました。
どうしても、その担任の先生を呼ぶ気になれないのです。
やる前にその先生に聞いてみたいのです。
どういう思いで教えたのかと・・・。
その葛藤は今もあります。
Commented by voyagers-x at 2013-08-16 09:03
おはようゴザイマス!!
お盆が終わってしまいました。
今日からまたいつもの毎日です。
お盆が過ぎて暑さが少し和らいだらいいのですけど(^_^;
9月から毎月連休があるのが嬉しいです。
さて、今日からまたよろしくお願い致します。

難しい問題が山積みですね。
信仰心や国家の方針や民族性が複雑に絡んでるので解決するのは容易ではないですね。

Commented by rangefinder-love at 2013-08-16 21:16
★ voyagers-xさん
コメントありがとうございます。こちらこそよろしくお願い致します。
容易ではありませんね。特に外国の方は、外国の事は放っておいてまずは内を固めるべきですね。
Commented by g_voyageur at 2013-08-16 23:50
こんばんは。

現状の日本だと戦争は良くないことだとしても、
日本のために戦ってくださった先輩達に無礼極まりなく申し訳ない気分でいっぱいです。
今年は出来ませんでしたが、来年は僕も氷水を捧げたいと思います。
Commented by rangefinder-love at 2013-08-18 00:15
★ g_voyageurさん
ありがとうございます。
カナダからではまた違った見方ができるからいいですね。
アメリカでは8月15日なんてみなさんとっくに忘れているそうですね。
そんな前の事よりイラク戦争であったり、アフガニスタンであったり興味の対象から外れている。だって70年前の戦争ですからね。
氷水は思った時にしてあげて下さい。毎日している人が多いので。


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